歌丸さん 終演 体重35キロ 鼻にチューブしても「私は噺家 苦しくても高座に上がらないといけない」
日本テレビの演芸番組「笑点」に50年間レギュラー出演し、国民的人気を誇った落語家の桂歌丸(かつら・うたまる、本名椎名巌=しいな・いわお)さんが2日午前11時43分、慢性閉塞性肺疾患のため横浜市内の病院で死去した。81歳。横浜市出身。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は妻の椎名冨士子(しいな・ふじこ)さん。落語を身近に感じさせてくれた功労者で、落語芸術協会の会長として後進の育成にも力を入れた。
誤えん性肺炎や腸閉塞などで入退院を繰り返しながらも、不死鳥のように高座に戻ってきた歌丸さんが、ついに力尽きた。4月19日の東京・国立演芸場で「小間物屋政談」を熱演したのが最後の高座となった。ミニ番組「もう笑点」用の収録も4月中に済ませており、1日の放送でも元気な姿を見せていた。
若い頃から1日60~80本も紫煙をくゆらすヘビースモーカーだった。2009年に肺炎を患い、「こんな苦しい思いをするなら」と禁煙生活に入ったが、長年の喫煙の影響か、近年は肺炎などで闘病生活が続いた。
それでも歌丸さんは復帰にこだわった。酸素吸入器の助けを借り、文字通り命を削るように高座を務めたが体力が低下。体重は35キロにまで落ち、せきをすれば肋骨が折れてしまうほどだった。
関係者によれば、体調不良を訴えて4月24日に入院。同29日に医師が看病の家族や弟子たちに「親しい人に来てもらってください」と告げ、笑点の後輩である六代目三遊亭円楽(68)や三遊亭小遊三(71)も駆けつけた。翌30日には「持ってあと4日ほど」と医師から宣告されたが、奇跡的に持ち直した。
5月上旬に軽い肺炎で再入院。6月15日の横浜にぎわい座「日本演芸家連合まつり」は休演したが、同30日までは「弟子が見舞いに来ない」と軽口を叩くほど元気だった。ところが1日に容体が急変。冨士子夫人(85)と息子2人、弟子4人にみとられて眠るように息を引き取った。
15歳で五代目古今亭今輔に入門。61年に兄弟子の桂米丸(93)門下に移り、米坊として出直した。64年に歌丸と改名し、68年に真打ちに昇進した。二つ目時代の65年3月から日本テレビ「金曜夜席」に出演して才能を発揮。66年に始まった後番組「笑点」にも引き続き登板し、一時抜けた時期もあったが、三遊亭小円遊さん(80年死去)や五代目三遊亭円楽さん(09年死去)との掛け合いが茶の間の人気を呼んだ。06年には円楽さんに代わって5代目司会者を16年まで務め、長寿番組を支えた。
その一方、「大喜利の歌丸では終わりたくない」と、やり手が少なくなった噺(はなし)の掘り起こしを精力的に行った。江戸時代末期から明治にかけて活躍した三遊亭円朝の「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」「牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」といった続き物への取り組みはライフワークだった。
晩年は、酸素ボンベを手放せず、鼻にチューブを入れたままの高座には鬼気迫るものがあった。歌丸さんは「生きるのは苦しいものです。私は噺家。だから苦しくても高座に上がらないといけないんです」と哲学を披露。その生きざまは小遊三や春風亭昇太(58)ら後輩たちに確かに伝わっている。「おあとがよろしいようで」…歌丸さんは静かに落語家人生に幕を引いた。
※下記リンクより、一部抜粋
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2018/07/03/kiji/20180703s00041000031000c.html
長年のご活躍がまだ頭にしっかりと焼き付けられています。
ご冥福をお祈りいたします。
今頃天国で、
小圓遊師匠「来るのが早すぎるんだよバカ野郎!」
歌丸師匠「お前が言うなよこの野郎!」
なんてやりあっていたりして。
歌丸師匠、お疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
相当辛かったろうな。
ご冥福おいのりします。
楽しかった…。
死んだ親父も笑点好きで、歌丸さんのファンでした。
泣けてくる…。 合唱。
謙虚で底力のある立派な方だった
やはり金持ちは違うな
酸素吸入器で最後の10年は地獄以上の苦しみだっろう。
本当に残念です。ご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈り致します。
ゆっくり休んで下さいね。
真面目さ、ひたむきさってのは、何時だって人を魅了するのでしょうか。
残念でなりません。
本当にお疲れさまでした!
天国でもまた噺家やってくださいね。
いずれまた、私も見させてもらいます。
高座がなかったら、きっともっと早く逝かれていた。
最期まで仕事も自分も貫かれた姿は、男性としてはとても憧れる。
歌丸さんは横浜の誇りです
仕事への真剣さ厳しさも本当に尊敬すべき学ぶべき姿
心よりご冥福をお祈り申し上げます
私は煙草(たばこ)は吸わないが、お酒はよく飲む。
ただ、お酒が「百薬の長」とは言っても、飲み過ぎると「百毒の長」になる。
煙草がもともと毒なのとは違っていても、やはり、体を壊すことに変わりは無い。
気をつけなくちゃね。
反面、円楽さんの「ジジイ」に対して「なんだテメー、このやろう」と掛け合いする姿見て「落語って以外と堅苦しくないのかな」と思わせてくれたのも歌丸さんでした。
長い間お疲れ様でした。
生前も凄い人と思ってたけど亡くなってさらに思い知った。尊敬。
ご冥福をお祈り致します。
ありがとうございました。
勿論歌丸さん自信素晴らしい咄家だったのは異論はありません。
ハキハキはっきり話してた
その頃から「あの世に行ったら」とか「もう直ぐお迎えが」とか冗談を言っていたのに、本当に言ってしまうなんて・・・
円楽が「歌丸を人間国宝にする会」を起こして賛同者を募っていたのだが、決して不自然とは思わなかった。
自分なりの美学というか。
今だと・・
楽しみながらゆとりをもって、無理せず^^^
って感じだけど。